僕らは地味ですから
土曜日に男子フィギュアフリーを生でみて、すごく興奮して楽しめたんですよ。
で、ずーっとテレビを見ていたら表彰式までに7回ほど羽生選手と宇野選手の演技を見て、最後の方は
このあとバランスを‥
とかわかるようになっていたので、さすがにテレビ局は流しすぎかと。
それよりNチャンも流して欲しいですよ。
やっぱり勝利の美酒は相手が強いからこそ美味いのです。
オリンピックを見ていて、フィギュアやスノボーのように誰が見てもすごいとわかる競技は見た目で得をしていると思いました。
一方で将棋は、もちろん実績をみたら藤井六段はすごいわけですが、普通の人には解説なしでは凄さがわからないので、見た目で損をしているなあ、とおもいます。
プロが存在しないボードゲームはなおさらで、結局その場でプレイしている人同士でなければ共有できない体験、感想戦をしなければ相手とプレイの振り返りすらできませんから、結局わかりやすい
新しいゲームをひたすら消費する
まさにアメリカ型消費社会を形成するしかなくなるわけです。
しかしアメリカ型消費社会は、多くの新しい参加者を必要とするわけで、アメリカにはアメリカンドリームがあるわけですが、じゃあボードゲーム消費社会の先には何があるのか?といえば
中途半端にプレイした汚部屋
が残るだけなんじゃないか?と自分の汚部屋を見ておもう次第です(オイ
誰にでもわかりやすい盛り上がる場面のあるボードゲームって、それはボードゲームの魅力?ってところが面白いことが多いんですよね。たとえばジャンクアートで上手く積めたら盛り上がりますが、それは
子供が積み木でうまく積めて褒められる
のとあんまり変わらない気がするので、勝利至上主義のプレイヤーこそ他の人が見てわかる、自己承認欲求を満たしてくれる解説をつけるべきでしょう
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